痛い中二病の記憶

24歳フリーター職歴証券会社。読んで味噌。

夜行バスに揺られる〜大阪凱旋〜

別に今回は東京に疲れたから大阪に行くとかではない。ていうか大阪なんて言ったらますます疲れてしまう。たまたま大阪の友人に呼ばれたから行くだけだ。

 

近大出身の僕としては大阪には特別の思いやりがあると言いたいが、今では特に感動や感慨というもの持たないようにしている。それはつまり故郷とか地元を持つことを死ぬほど恐れることにつながっている。

 

人間を苦しめる記憶は結局、悪い嫌な記憶とかじゃなくて、楽しくて幸せだった記憶。失ってしまった幸福に執着する気持ち。だから大阪の記憶は僕を不自由にする怖いものだ。

 

大学に来た当時の話。右も左も分からない18歳の田舎のクソガキが日本でも相当やばい町の大阪にやってきた。今思ってもすごく大変なことだと思う。

初めて聞いた大阪弁。ここが味噌なんだけど、関西弁じゃないんだ、大阪弁なんだよ。大阪の連中が話す言葉は関西弁なんて生優しいものじゃない、きっついまくしたてるような大阪弁なのだ。

人間が人間に対してしばくぞと笑いながら冗談で言っているのを聞いて当時の僕はノイローゼになった。

 

そんな僕は大阪に鍛えられた。最終的に自分を鍛えてくれたのは大阪だった。攻撃的で最低で失礼で下品な大阪人に殺されないために、僕はありとあらゆる怒りを感情を露出させた。怒らなければ、こっちの話なんて通じない。感情を出さなければこの街で生きていくことはできない。一年間友達のいない、孤独な極限状態で、やるしかないと僕は覚悟を決めていった。

そんな昔話を思い出した、夜行バスに揺られる、真っ暗闇の中で。