痛い中二病の記録

読んで味噌。

未来は存在しないのかもしれない

大昔、と言ってもせいぜい2年前ぐらいの時だと思う。ぼっちの時期ですることもなかった自分はよく図書館に通っていた。今でこそ「無職の聖地”図書館”」だけど、当時は大学生という自由な身分を存分に堪能していた。周囲の老人や子供を尻目に目的の本を探すと、これまた目的の椅子に向かってダッシュ。大阪の八尾図書館という図書館だ。この図書館は全国の図書館でも珍しい「図書館通帳」のような設備がある。預金通帳みたいに読んだ本のタイトルが記録されるというものだ。たしか子供限定だったと思う(大人もいけるのかなあ?)。

 

まあ、八尾図書館の素晴らしさについてはいってもらえればすぐにわかる。

そんな立派な図書館で、非立派な自分はうじうじとした悩みを解決してくれような本を探していた。将来、社会に出たら毎日毎日時間を拘束される。そのことについていつも悩んでいた。何を楽しみに生きていけばいいんだろうかと…正直、恐怖で仕方なかった。そんな時によく哲学者の本を読むことが多かった。哲学者っていう連中は自分の死に対する恐怖について悩み、それなりの対処の思考法を導いてきた連中だ。自分よりもぐだぐだと悩んできた連中だ。そんな彼らの本をグダグダと読んでいた。

 

それによると自分はあるかもしれない未来、またはありもしない未来についてずっと悩んでいるが、それは未来についてのことだ。だがそもそも未来というものは存在しないというのが連中の考え方だ。しょせん我々の未来とは今が積み重なってできたものに過ぎないからだ。今の連続が未来で言うところの明日になり、明後日になる。それは所詮、今の集合体に過ぎないからだ。同様に過去ももう存在していないんだから、過去に後悔するというのはおかしいということだ。なぜなら過去はもうすでに存在していないからだ。

 

そんなふうに解決してんだか、解決してないんだかよくわからない結論を持って、なんだか救われてような気になっていた。どうでもいいけど、八尾図書館は自動貸出機があって便利だ。おすすめ。