痛い中二病の記録

読んで味噌。

まとまりたいと思う

自分がおっさんになってきたのかどうかはわからないけど、まとまりたいと思うようになってきた。最近、サウナとか田舎とかマッサージ機にゾッコンだからかもしれない。

もうなんか野望を持ったり、ガツガツしたりするのが面倒くさいのだ。言うなれば
「刺激はもうたくさん!安定した生活がしたい!」
ということだ。

なんか自分の知らない所へ連れて行かれて仕事をするとか、ベタベタでみんな仲良しで上辺だけの煩わしい人間関係とか、人口密度が高い地域に行かされるとかがもうしんどいのだ。

必要最低限揃っていればいい。町に図書館、半額のスーパー、家電量販店、銭湯、贅沢を言えばアリオモール。大学の時に作った生活リズムに必要なものさえあればあとは何もいらない。むしろあってはいけない。必要以上にあるということはゴミがあるということと同じだからだ。町にシンプルさと機能性と無駄のなさが欲しい。

といってもそんなに自分にとって都合のいい町やそんな仕事もあるはずがなくて、これからも世の中に振り回され続けるんだろうなあ。

いい加減まとまりたいと思う。もう老後になった時に振り返るぐらいの思い出はあるから、とにかく世の中に放っておいて欲しいと思う今日この頃。

世の中の同世代はどうなのかはよくわからないけど、、、
もうこの年で24だ。世間からはまだ若いんだからとか言われることが多い気がするけど、個人的にはもう24年だ。よくここまで生きたもんだなあって褒めてあげたいぐらいだ。

まだ3、40代になるまでに仕事を通じて何事かを成し遂げなければならないとか言うかもしれないけど、そんな気力が湧いてこないのだ。

子供の時の将来の夢は公務員だった。とにかく将来を不安に思い怯えていた。中学生の時は高校合格が夢だった。高校からは楽な仕事だと勘違いしてお笑い芸人だった。大学から一生大学みたいに過ごすことが夢だった。

そのどれもこれもが叶ったり、叶わなかったりでてんやわんやだ。叶った場合でもそれ程幸せにはなっていないことのほうが多い。叶わなくても別の形で幸せが転がり込んできたりする。大きな野望にしか目が行かずに周りの小さな喜びを見失っていた。

平凡の中に幸せがあるんだろうとあうことを思い始めた。それ程劇的でなくても人は幸福に生きれるのかもしれない。目先の非日常な囚われるのがとにかくもうこの年になると面倒くさい!

だって今の夢は「お父さんになること」なんだから。
昔から家族が大嫌いで仲が悪くて暴力に苦しんできたけど、もうレールを外れるのに疲れ果てたんだ。

あー…小さくまとまりたい。