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痛い中二病の記憶

俺は最も勢いのある大物ブロガーだ! I'm japanese big bloger! 読んで味噌。

働く意味、運命、第5次自殺未遂

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人生が嫌なら死んでしまえ!徹底的に突きつけられる宣告に僕は全く怯えていなかった。ぶつぶつぶつぶつと文句を散々言っているが、それはいつだってひとりの時なのだ。人といるとき(それがたとえ嫌な奴でも)弱気になることはなかった。嫌いなやつから「おまえにできるわけがないだろ!」と脅されても、あんまり仲良くなかった友人から「難しいよ」と言われても一度も弱気になることはなかった。むしろそういった自分とは違う他人の考えや価値観に触れることで「こいつの考え方はつまらなくて自分の考え方のほうが面白そうだ!」と自信を持てた。いつだって僕に自信をもたせてくれたのは頭の悪そうな他人だったのだ。多分大学に入ってからはずっとそうだ。そう。いつだって諦めてしまったり、忘れてしまったりするのは1人のときなのだ。1人でいると自分の考え方を客観的に見ることができなくなってしまうとでも言うのだろうか。いつだって人間は1人のときに死んでしまいたくなるらしい。

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閑話休題。働くことが嫌いだった。少し違う。オフィスの集まりや出社時間が早いのが学校みたいで無理だった。世のそこそこ年のいった連中方はこぞって「他人のために働かないでどうやって生きている実感を得るのか?」とのたまう。仕事それ時代がとんでもなく嫌なものであるという事実はどこかへ行ってしまったように。仕事を楽しむ、没頭するという感覚がよくわからない。没頭する、それ自体が楽しい行為だということがよくわからないのだ。定時まで時間をやりくりするというのは本当に辛いだろうなあ。まあ、結局のところこれ自体はあんまり働いたことがないから良さも悪さもわからないな。働くことが学校に通うことに似ているとしたらもうそこには絶望しかないけどな。そろそろ働きたすうー。てか仕事をしろっていうぐらいなら仕事持ってこい馬鹿野郎。

 

話題転換。運命じみている運命について。運命て結局後付けみたいなものだし、意味づけみたいなものだ。隕石を落としてみて死ぬ奴と生きる奴がでてくる。死ぬ奴は死ぬ運命だったし、生きる奴は生きる運命だったみたいなこと。人間は起こった事柄、事象になんかロマンチックな言い訳とか理由が欲しいみたいだ。そのロマンチックなもんが「運命」らしい。でも僕は運命って信じるなあ。なんかロマンチックだし、オレンジっぽい感じがして希望がある感じがする。運命ってようはラッキーってことでしょ。

 

方向転換。なぜ死のうとは思わないのか。こんなゴミみたいな人生送ってんだから死ぬことのひとつやふたつ考えてもおかしくは無いような気もする。でもまったく死ぬという考え方はない。19歳ぐらいのとき自殺しようとしていたこともあった。思えば19のそのときまでに何度も何度も自殺するフリをしている子供だったと思う。実際に飛び降りるのは怖いからしなかったけど。なんとなく人生全体にどす黒い闇を感じて人生に自分に希望を持っていなかった。そこからの逃げ道は死んでしまうことだ。恐怖から逃れる唯一の手段。自殺は怖い。それは自分がこの世から消えてしまうから怖いとかではなくて死ぬときに痛いのが嫌なのだ。人間が生きるのは生きていればいいことがあるかもしれないからではなくて痛いの嫌なだけなのだ。そんなこんなで19歳のときの第5次自殺未遂を乗り越えた。方法は水没自殺。淀川の真ん中まで泳いで行って溺れるという方法だ。僕はカナヅチだからこれで死ねるだろうと思っていた。でも溺れるのは苦しいし嫌だった。10月ぐらいだった。長袖を着るシーズンだった。水に手を入れてみる。寒いから自殺するのやめた。こうして僕は生きながらえた。

この後も死をよぎるようなことが続々を起きた。そうしたときはいつだって1人のときだ。いつだって俺に生きながらえさせてくれたのはダメをこじらせた他人だった。ありがとう他人、マジ感謝他人。さあ、今日も生き延びようぜ、みなみなさん!