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痛い中二病の記憶

俺は最も勢いのある大物ブロガーだ! I'm japanese big bloger! 読んで味噌。

人は死ぬ、人生に意味はない

最高にクールな言葉だと思う。そもそも人生に意味はない。なのにどうして僕たち私たち選手一同、会社員一同はマイニチマイニチ僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になってしまうのか?

あんなに嘘までついて入った会社はお世辞にもスマートとかクールとか言えないくそつまらなくてダサいおじさんばかりの集団だった。あれだけ幸せになれると確信した結婚生活は大きな負債になった。とても頭のいい優しい子供を持つはずがただのバカなヤンキーになってしまった。

 

ひとつ例え話をしよう、いや昔話をしよう。ある地方都市のサラリーマン一家の家庭にひとりの少年がいた。この少年をA君とでもしよう。A君はとても真面目で優しくて、みんなから信頼されていた。A君は真面目に勉強し地元の進学校に合格した。しかしA君の親友でありライバルであったB君は進学校に落ちてしまった。

A「………………………………」

Aくんはかける言葉見つからなかった。

しかしB君は

B「おめでとうAちゃん。僕は残念だったけどやりきったし悔いはないかな。悲しくないって言ったら嘘になるけど(笑)学校は違うけどお互い頑張ろうね!今は本当に合格おめでとう!」

B君は悔しかったと思う。しかし悔いはなかったのだろう。自分の不合格でA君の合格に水をさしたくなかったのだ。

 

それから月日は流れた。A君は優秀な成績で進学していく。一流大学に見事合格。周りの人間からことごとく信頼を得ていくその様はむしろ不気味だった。大学でも勉学に励み、青春を楽しみ日々成長していくA君。一流企業への就職が決まったそうだ。しかしその直後に交通事故で死亡したらしい。事故の原因は向こうのドライバーの居眠り運転らしい。周りからは彼を惜しむ声が聞かれた。

 

「これからの人生だったのに…」

「ほんとに真面目で優しい子だったのに」

「まさかこんなことが…」

「いまだに信じられない」

「怒りで仕方ない。絶対に許さない」

 

しかしどうしてだろうすべてが作り物くさいのだ。嘘くさいのだ。彼の人生すべてが気味が悪いのだ。A君は一流だった、そして優秀だった。だがどうしようもなく作り物なのだ、偽物なのだ。とにもかくにもA君の人生は終わった。

しかしB君の人生は続いている。生きながらえているといったらおかしいが彼は生きている。

 

進学校の受験に失敗し、勉強の世界では勝てないことを知るとすっかり勉強をしなくなった。高校では部活に明け暮れて部活の仲間と楽しく過ごした。大学に行くか迷ったが高校での部活を大学でもしたいという極めてくだらない理由から進学を決意。しかし今まで勉強をしてこなかった彼に受験での進学は難しかった。そこで彼は推薦での進学を試みる。面接の練習をし、先生の言うことを聞き、面接に挑んだ。面接の前日にはゲームをしてリラックスした。予想通りの質問で面接を突破しまあまあの大学へ。ここでいう関関同立というクラス、東京でいうマーチクラスの大学だ。大学でも高校と同じように部活を続ける。大学でも仲間に恵まれて日々を過ごす。しかしなんだこの違和感は。ふと違和感を感じる。しかし気にせずに日々を過ごす。就職が決まった。一流企業への就職が決まった。この世界の住民はみんな一流企業への就職を難なく決めてくる。会社に入ってからはマイニチマイニチ僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になってしまう。そうこうしているうちに彼女と結婚することになった。「もう俺も結婚かー」なんてベタな台詞を吐きながら大学での友人から祝福をもらう。

 

一流企業で若い奥さんをもらう。端からみれば羨ましい限りだろう。そして子宝にも恵まれて男の子1人と女の子1人を授かった。今までになかった父として自覚が芽生えた。きちんとしなければいけないと。会社ではそこそこのポジションにいて、部下数名をひきつれていた。部下からはそれなりに信頼されていると思うことにしていた。新入社員は世間知らずだから俺がきちんとしてやらないといけないと考え、厳しく指導した。新入社員が辞めていった。「ふん、あいつもいずれ子供を持ったらわかるさ」そんな捨て台詞を決めていた。

 

電撃が走る。転勤が決まってしまった。中国地方の中心地らしい。「ついに来たかと」覚悟はしていたが、いざ決まってしまうと心苦しい。家族とは離れ離れになってしまうが、「俺が頑張らないと」と言って自分を奮い立たせる。心臓がドクンとなる。なんだこの違和感は…しかしその直後になにも違和感はなくなる。

息子と娘の受験が始まる。子供も頑張っている俺も頑張らないとな…そうして頑張り続け定年を迎えた。定年後はゆっくりと大学の仲間たちと部活のような活動を過ごしてその何十年かに死んでしまった。

 

Bは死ぬ間際、「なにかざらっとしている」と言い残して死んでいったそうだ。長い目で見ればどちらも死んでしまったことになる。くだらんことを言えば

 

「人生は結論は決まっている、しかし過程は人それぞれだ。ゆえに人生はどう死ぬかではない、どう生きるかだ!」と言いたい。人生になんだかんだと理由や意味を求めたい理由はわかる。自分が特別だと思いたいのもわかる。しかし人生に意味などないんだ。いつもいつも残るのはきったねえ死体とうすら寒い小言だけだ。

 

人生生きてりゃなんとかなる。そりゃそうだ別に意味なんてないんだから、最初から人生はなんとでもなるし、なんでもいいからだ。ああ、つまらないつまらない。

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