痛い中二病の記憶

24歳フリーター職歴証券会社。読んで味噌。

読め!しぶとく、ゴキブリのようにしぶとく生きる

ふと油断すれば「自殺」というふた文字が頭をかすめる。「自殺する」って言ってる奴はどうせ死なないって世間のなんにも考えてないオウム人間は言うけど、人間はけっこう、というかたいがい死ぬ。人間の死亡率は100%なんだ。それが早いか遅いかの違いがあるだけだ。寿命を全うして自分の死を死ぬか、生きる希望をなくして視野が狭まって選択肢を失い自殺するかの違いしかない。人間は死ぬ。仕事も辞めて学校もやめて人とのつながりもなくすと「死」が見えてくる。普段なにげなく過ごしていると絶対に見えてこないもの。

とにもかくにも1にも2にも3にも4にも生きねきゃいけない。しぶとくしぶとく生きなきゃならない。今自分の間近に死が見えている。死にたくもないし、自殺なんか絶対にしたくない、でもこんな状態なら生きたくもない。

「こんなに辛いなら死んでしまおうか」、「生きててもいいことなんてないし」、「借金払えるわけないし」→だから死ぬ。

人間が死ぬのは毎朝会社に行くのが嫌だから死ぬと思っていた。いじめられるのが嫌だから辛いから死ぬと思っていた。あの有名な作家がただなんとなくぼくのぼんやりとした不安から死んでしまった。人間の死は個々人特殊なんだ。死ぬ理由は十人十色。だから他人に対して「死ぬな」とは言えない。かの有名な作家は生きる権利と同様に死ぬ権利もあると言った。だから他人の死についてとやかく言えない。でも多分無責任に「あなたが死んだら悲しいから死なないでほしい」って言ってしまうかもしれない。それならば一緒に僕と死ぬのはどうだろうか。そうだそうすればいいんだ。個々人の死を共有することはできないが、せめて死をわかちあうことはできるのではないだろうか。人は人とのつながりが消えたときに死が見える。最後の最後の防衛ラインである家族の存在はよりいっそう僕の死を加速させている気がした。いっそ殺してくれと思うけれど、痛そうだ。いまいましいことだけど、もう少し生きないといけないよ、私は。おまえさんも。そしていずれ死んでいこう。死んでから口があったらどれだけ辛かったを閻魔だか神様だかに言ってやろう。「ここは地獄なんかじゃねえ!世間体こそ、薄汚ねえ世の中こそがほんもんの地獄なんだ!」ってな。だから…