そもそもなんで働くことに苦しめられているのだろうか。ふと思って考えてみた。働くというより、会社に苦しめられている人が大半だと思う。
働く=社会貢献 っていうのが今までの価値観だったと思う。自分の場合だと証券会社だけど、果たして本当に社会貢献していたかというと微妙じゃないだろうか。
そもそも入社前から「この仕事ってあこぎな商売だよね」ってずっと思ってた。それでも自分を騙して、これは社会に貢献できる素晴らしい仕事だって思いこもうとしていたけれど、無理だった。証券会社に関して言えば
働く=お金 っていうのがあてはまるだろう。他の会社で働くよりお金はいいし、贅沢して酒池肉林の限りを尽くしたいみたいな人には合ってるんだろうな。自分には全くあってなかったわ。
どこかの誰かが「お客さんから頂いたお金は信用の証」ってよく言ってたけど、証券会社の仕事に信用なんてどこにあるんだろうって疑問は消えずにいた。
閑話休題。なぜ人は働くのだろうか?なんで苦しめられているんだろうか?それはやはりサラリーマンの横並び意識が原因だと思う。周りの目を気にして、横の人が仕事してるから自分もする。横の人ができてるのに自分はできない。周りと比べて比べて生きる。それが苦しくて仕方ない。
評価の軸を他人に預けてしまうと他人にふりまわされてしまう。自分の軸がないから何をしても自己充足感を得られることがなくなってしまう。他人に認められないと満足することができなくなってしまう。褒められ中毒みたいな状態に陥ってしまう。
人はどうして働くんだろう。23歳にして無職状態を味わうことになってしまった自分からすると思うところはたくさんある。
自分には組織勤めは適性がなかったと思う。集団行動が苦手だし、研究室には行ってなかったし(理系だからきつかったけど)、小中学校の授業は本当にしんどかった。
働く理由なあー…。やっぱお金なんかなあー。
働かないとたしかに他の働いてる連中に対して引け目を感じずにはいられない。あと外歩くのでさえ恥ずかしい思いがする。
なんだかなあー。でも働くって言ってもただ我慢大会みたいな感じだったし、しんどいなあー。きつさと成功の関係っていっさいないとおもうんだけどなあ。
会社に退職願を出した時にすぐさま京都に向かった。翌日の早朝に嵐山を見た。その時、こんなに綺麗なのか!って衝撃を受けた。人間のやることなんかちっぽけだし、自然には勝てないことを思いしった。なのになんであんなきついことをしてまでいきなきゃいけないんだろう。
会社が辛い人、やめようと思ってる人は
「いざとなったら死ねばいい」
って言葉を手帳に書いておくと元気がでますよ。