中二病の記憶

yondemiso.

皿を出すということ

食戟のソーマを見ました。個人的には神回だったと思います。才場丈一郎(漢字あってます?)の高みを求めらる苦悩と疲弊が感動的でした。なにかがスパークしました。一般人のぼんぼんを覚悟がないてめーがガタガタ言うなみたいなことでいっきょうしていたのもすんばらしかった。

世の中がピンチになると正論がまかり通る。でも彼らの正論がどうして空虚に聞こえてしまうのだろうか?彼らの正論を僕は薄っぺらいと思う。舞台に立つあの吐きそうになる緊張感を知らない彼らに。

f:id:norane:20180605011657j:plain

家族が嫌い、同期同級生が嫌い、僕の心の闇

高校の同級生とは大学になってからは会わなくなった。徐々に彼らとは考えていることがズレてきた。同じ学校に通っていた時は同じ気持ちを共有できたのかもしれない。でもだんだんと距離ができてきて、心ないことを言われたりして話すことが苦痛になってきた。

そして今、社会人になってみて大学の彼らとも考えていることにギャップが生じてきた。彼らと一緒にいることに魅力を感じないのだ。結局今近くにいる人といるのが一番楽しい。どんどん人生が進んでいって考えていることも姿も変わっていくのだろう。

こういった友人とか家族とかはやっぱり呪いみたいなもんだなと思う一方で、そういうつながりを大事にできる人はすごいなと思う。

f:id:norane:20180603005805j:image

路頭に迷いたい

内定が出た。正直ぜんぜん嬉しくない。最近はようやく欲しかったつながりができかけていて、これからどうなっていくのだろうかと不安と期待がないまぜになった複雑な気持ちだった。けど毎日毎日充実していて楽しかった。ただ物理的にkaneがないからどうしてもバイトを増やすなり、仕事をするなりしないといけない。どのみち修飾っていうのは必須になってしまう。ただ耐えられる気がしない。そもそもそれができたら苦労なんてしていない。早く辞めて楽になりたいって思うだろうなあ。

そのせいで今日はずっとメンタルがガタガタだ。内定が出たと言ったら、いろんな人がよかったねと言ってくれた。心からの言い分ではなくて社交辞令という感じだ。心からの言葉というのは案外わかるものだ。

f:id:norane:20180528231538j:plain

床屋で顔剃りをした後に剃った毛を見せて欲しい

タイトル通りだろう。これ以上の説明を求めるというならば、あなたはきっと理解力不足だろうから勉強したほうがいいかもしれない。

 

そんなことよりも富士山にいった。そして3時間後に帰った。なんてことはない、普通の山だった。

 

f:id:norane:20180523020952j:plain

ネタ案募集

記事のネタでもお笑いのネタでもなんでも可です。とにかくネタになる要素があるアイデアを募集します。中二病の情緒不安定のこの私が代わりにやらせていただきます。というわけで行き詰まりを感じてきたのでみなさんの知能をお貸しください。とにかく少しでもきになることがあったらコメントください。いいかね?そこに君に言っているのだよ。

f:id:norane:20180520001442j:plain

自分は普通の人間だった

自分はどこかしらで社会に馴染むことができない、ある種アウトローな人間でいて、マイナスの選ばれた人間だとどこかで勘違いをしていた。でもそうやらそんな幻想は崩れさっていって、自分はいたって普通の血の通った笑いもすれば泣きもするいたって普通の人間だということがわかった。

自分にとって、競争は避けるべきものでナンバーワンよりオンリーワンを目指すべきだと思っていた。でもどうやらなにかを表現して競争をすり抜けるよりも、誰かと一緒にえんやこらと必死に協力して競争をして上を目指していったほうがいいのかもしれないとうっすら気づき始めた。はたしてそれを成長というのか、退化というのかはわからないが…

そもそもどんな有名な人でさえ、いざ会ってみると身長がそこそこのただの人間でしかない。そんな風に感じてしまう自分にとってなにか特別な人間など存在しないのかもしれない。そんな特別の殻に閉じこもっていないで、身近な人間を多くしていったほうがいいのだろう。いい年こいて気付いた25の終盤でした。

f:id:norane:20180517023545j:plain

ニートは頭が痛くなる

ニートをやっているとそれはそれはいろんなことが起こる。そもそもニートとは

not employment education or tarainnigの略だったかどうか定かではないが、とにかくそんな感じなのだ。私が約2年間ニート?っぽい生活を続けてきて至った結論のひとつが「働いていないと頭と心がおかしくなる」ということだ。

こういった経験は初めてではないし、ニートの場合は開き直っているら応急処置的な散歩とかコンビニへ出かけるとかそういった処置でもって精神的な致命傷はさけられる。ないよりもニートはしょせんニートだから負け組だから傷つくこともない。それでももってゴミであることのニートなのだ。やっぱニートはつまらないし、ずっとやるようなもんでもないわ。そんなこと初めからわかっていた。それでもニートっぽい道を進んだのは人生に対して大きな迷いがあったからだ。しかたなかった。

ニートの仕事って個人個人違うっていうのがミソなんだけど。ニートってこれはこれでけっこう忙しい。僕の場合はありもしない人生設計をしなくちゃいけなかたっり、使いもしない知識を本から仕入れたりしなきゃいけなかった。何度も何度もありもしない想像をしてはそれをかなぐり捨てての往復運動を繰り返す。そしてがらがらに崩れさった荒廃した自分という現実を直視し、それでもなお立ち上がろうというときに自分はニートをやめて、現実が始まった。長い長い夏休みが終わって、たいして楽しいことばかりでもないつまらないつまらない苦しい現実が始まった。

頭がいたくなるのだ。なんにもない生活を続けているとひたすら頭が痛くなるんだ。それでも続けるしかないようだ。めんどくさくて頭が痛くなる。誰かこの不満を文句を受け止めてくれよ。俺は納得したいだけなんだよとっっつあん。

f:id:norane:20180515020248j:plain