痛い中二病の記憶

24歳フリーター職歴証券会社。読んで味噌。

東京を好きになった日

今日はなんか東京を離れた場所で研修を受けた。けっこー田舎チックなところで伝統も少なくて人も少ないところだった。ストレスは少なくていいんだけど、それは過ごしやすくてよかったんだけど…田舎の人間の狭い村社会の仲間はずれ意識みたいなものを思い出した。

研修でグループワークみたいのとかあったんだけど、見事に内輪ノリ、それも嫌な感じの断りにくい内輪ノリ。これはイエスと言うしかないよなという雰囲気。

今までは東京は人が多くてゴミゴミしてて、スーパーとか電車とかだるいなって思ったけど、一歩県外に出て気づいたことは東京が怖い街で無くなっていたということだ。まがいなりにもだらだら住んでみて馴染んできている。

 

東京の人の多さの中に紛れてしまえる魅力。今日の研修でも、僕の印象が悪くても東京の人印象悪いってなるだけで、僕自身はあまり傷つかない。謎の東京の一体感みたいなものがある。

 

初めて東京のよさに気づけた日だった。

幕張メッセと市川のおっさん

今日と明日、つまり6月24日(土)と25日(日)は千葉の幕張で次世代ワールドフホビーフェアが開催された。ぶっちゃけなくても正直に言わなくても行きたくなかったんだけど、開催されるという情報を聞いてしまうと落ちかなくなってしまって、行かなかったら行かなかったで後悔するのでいやいやながら行くことになってしまう。そもそも論で幕張までここから自転車で2時間かかる。もうその時点でめんどうくさい。電車で行くという選択肢は今のところない、今までもない。こんな面倒なイベントに参加するのにお金をかけるのなんて絶対に嫌だと思ったからだ。それに自転車で行けば運動にもなるし、金もいらないしでいいことが多いからだ。

 

そんなこんなで朝5時に起きて朝7時に幕張についた。そこから開場の9時まで2時間ある。その待ち時間というのは自分にとっては割と楽しみにしていた時間である。その理由は待ち時間に本でも読んで時間を潰そうと思っていたからだ。なぜか待ち時間っていうのはいい具合に集中できていい暇つぶしができるのだ。そして今回もそうだった。2時間ずっと読みっぱなしで100ページぐらい読めた。

 

そしてイベントが開催された、が、正直すぐ帰りたかった。欲望に満ちた子供の感情、親子連ればかりの環境、子供にしかプレゼントを渡さない状況、すべてに嫌気がさした。だが予想外ではなかった。そうなるだろうなとわかっていた。自分はなんとなく、この嫌な状況を確認しにきたような気がしていた。そんな嫌な状況を理解すると、僕はさっさと帰路につくことに。いちおうの目的のクリアファイルを手に入れるとさっさと帰ってしまった。

 

帰り道、約30キロ。遠いなあ。今回の幕張遠征ではなんにも得るものはなかったなあなんて思いながら帰っていた。そんな沈んだ思いでいた。

いつも幕張に行くときには途中にある西船橋のスーパーとヤマダ電機のある複合施設によっていく。そこでだいぶ遅い朝食をたべることに。店内のイートインコーナーで飯を食べていた。そしたらおっさんが話しかけてきた。どうやら僕が1.5Lのファンタを普通にがぶ飲みしていたのを見て、気になったらしい。おっさんは250mlのコーラを飲んでいた。どら焼き2つとパンとコーラを食べていた。

 

「なんだこのおっさん…」

 

僕は率直にそう思った。だらだらと会話が始まった。だがまともに成立した会話というのはなかったようなきがする。それでも変わりもん同士の会話っていうやつは続いてしまうのだ。一緒に話していても黙っていても苦しくならず、居心地がそんなに悪くないのだ。おっさんに年を聞かれて、実年齢を答えると、もうちょっと年上かと思ったと言われた。どうやら僕は実年齢よりも老けているようだ、それは悲しい事実だった。僕もおっさんに聞いてみた。おっさんになってもコーラを飲むものなのかと聞いた。率直に気になったのだ。おっさんは答えた。「これぐらいしか楽しみないもんね」だ。

 

その後もおっさんとの会話は続く。おっさんは自分の住所もなんでここにいるのかもわからないほど重症の記憶力の持ち主だった。今日も5回ぐらい、僕の年齢を尋ねてきた。おっさんは自分の年齢を忘れている様子だった。何年生まれかだけは覚えていて、そこから計算してだいたい68〜9ということがわかった。ほんとかどうかはしらんけど。おっさんは鹿児島出身ということを3回ぐらい聞いた。おっさんは昔優秀だったそうだ。確かに話していてユニークさを感じずにはいられない、頭のネジの外れた感じはする。おっさんは自分が変わり者だという自覚があるようだった。それにしてもおっさんは何度も何度も俺に年齢を尋ねてきた。

 

おっさんは記憶力がとんでもなく悪く、すぐに忘れる。俺の年齢を何度も聞いてきた。おっさんにコーラは体に悪く、記憶力が悪くなったのはコーラが原因かもしれないから飲まないよう提案したら、「お茶なんて飲む気がしない」だそうだ。おっさんはかたくなにお茶を飲むことを拒んだ。

 

別れ際、おっさんは俺にスーパーで買ったパンとどらやき一個とそれを入れていたゴミ袋を俺にくれた。「もらってもいいのか?」と尋ねると「俺が食べてもう◯こになるだけだからあげるよ」だそうだ。品のないおっさんだと思った。

 

 

おっさんとの会話は9割ぐらい成立していなかった。おっさんが何言ってるかわからないのだ。あと僕が言っていることもおっさんは理解できていないようだった。それでも45分ぐらい同じ場所にいた。コミュニケーションは会話が成立してるかよりも、相手といて居心地がいいとか、自分と似ているとか共通点があるとかが大事だと思った。

 

その後に市川を後にして、中川の橋のうえあたりでおっさんからどら焼きを食べてあつい帰り道を帰った。おわり。

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夜行バスに揺られる〜大阪凱旋〜

別に今回は東京に疲れたから大阪に行くとかではない。ていうか大阪なんて言ったらますます疲れてしまう。たまたま大阪の友人に呼ばれたから行くだけだ。

 

近大出身の僕としては大阪には特別の思いやりがあると言いたいが、今では特に感動や感慨というもの持たないようにしている。それはつまり故郷とか地元を持つことを死ぬほど恐れることにつながっている。

 

人間を苦しめる記憶は結局、悪い嫌な記憶とかじゃなくて、楽しくて幸せだった記憶。失ってしまった幸福に執着する気持ち。だから大阪の記憶は僕を不自由にする怖いものだ。

 

大学に来た当時の話。右も左も分からない18歳の田舎のクソガキが日本でも相当やばい町の大阪にやってきた。今思ってもすごく大変なことだと思う。

初めて聞いた大阪弁。ここが味噌なんだけど、関西弁じゃないんだ、大阪弁なんだよ。大阪の連中が話す言葉は関西弁なんて生優しいものじゃない、きっついまくしたてるような大阪弁なのだ。

人間が人間に対してしばくぞと笑いながら冗談で言っているのを聞いて当時の僕はノイローゼになった。

 

そんな僕は大阪に鍛えられた。最終的に自分を鍛えてくれたのは大阪だった。攻撃的で最低で失礼で下品な大阪人に殺されないために、僕はありとあらゆる怒りを感情を露出させた。怒らなければ、こっちの話なんて通じない。感情を出さなければこの街で生きていくことはできない。一年間友達のいない、孤独な極限状態で、やるしかないと僕は覚悟を決めていった。

そんな昔話を思い出した、夜行バスに揺られる、真っ暗闇の中で。

 

東京脱出〜東京に嫌気がさし横須賀に行った話〜

僕は閉塞状態にあった。お金もないし、仕事もないし、おもしろいこともない。さあ、これからどうしよう?という時に気分がずっと不調気味で死にそうになっていた。いい加減、東京の安アパートのクオリティーにはうんざりしていた。特に夏場は最悪だ。東京に住んでしばらく経つけど、もういい加減いいかなという気はしていた。人が多いという最大のメリットにして最大のデメリット。人がおおくてうんざりする。スーパーでは人はごちゃごちゃしてうっとおしいし、電車はこむし、これはめんどくさくて仕方なかった。

なんでもいいから東京を出る理由が欲しかった僕は、横須賀に行くという理由を見つけた。別に変な意図はない、ただそこでスタンプラリーが開催されていただけだ。ただ遠い。めんどくさい。そもそも行く理由がない。でも行くことにした。ああだこうだ7回ぐらい悩んだ末に行くことにした。

 

そうと決まれば東京脱出だ。そもそもこれが面倒くさい。東京の北のほうにいるから、神奈川方面はけっこー遠くなるのだ。埼玉にならすぐに出れるけど、その埼玉にもいい加減あきあきしてきた。たしかに「彩の国」というぐらいだから緑は豊かだけど、そろそろ海とか青いものが見たいのだ。そう僕は青いイメージのものが好きなのだ。東京は灰色、埼玉は緑、横浜は青のイメージがなくもない。

そんなことを今振り返りながらも、当時の自分はペダルをこぎ進めて東京を抜けで妖刀する。そもそも東京のゴミの山積みにされた光景を見て嫌気がするのだ。「そんなに文句を言うなら東京を出ていけよ!おまえ」と言われそうだが、「東京か大阪ぐらいしか行くところがないんだよ!馬鹿野郎!」と返させていただく。

そうこうしていうるうちに東京駅のあたりを過ぎて、田町、三田、品川という僕の大嫌いな3大汚い駅を通り過ぎた。

その時は来た。とうとう見えてきた。我らの希望、多摩川だ…。

「ああ、俺は神奈川に来たんだな…」

そう思ったのもつかの間、川崎という東京の親戚みたいな街が僕を待ち構えていた。あんまり東京との違いはわからなかった。でも原住民にとっては紛れもなく神奈川県川崎市なんだろうな、僕にとっては東京都川崎市としかおもえないけど。

神奈川は鶴見にきた。15号線をずっと南下してきている。鶴見と聞くと「大阪の鶴見やろ、ぼけ!」と大阪弁で言いたくなるのは僕だけだろうか。神奈川の鶴見にはパッとするようなものがなかった。大阪の鶴見はでっかいショッピンブモールがあるという関西、関東ライバル意識を持たずにはいられない。

あああ、ついた。横浜だ。私たちの聖地、横浜。人類の終着点、横浜。

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神奈川公園という公園の水道の水で顔を洗ってみた。きれいだった。これはまさしく聖水だ!という錯覚を感じた。

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横浜のサミットに行ってみた。とりのからあげみたいのは僕の近くのサミットでは取り扱ってはいなくてとても美味しかった。これはいい。

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サミットのイートインコーナーでだらだらする。隣に麻雀のゲームをしているおっさんがいた。そんなだらだらとした日常は私を癒した。そこからは車を使って横須賀を目指す。国道16号線という愛と憎しみの路線を使う。ひたすら車を進める。そして海軍の街が来た。横須賀だ。なんてことはない、横須賀というネームバリューにハードルを上げすぎたせいか、たいして感動しなかった。ただしヴェルニー公園とかいう公園は海もきれいに見えてよかった。そこから何を見迷ったか。逗子市に向かうことにした。どうやらここは別荘地として有名であるということは最近になって知ったのであった。逗子についた。とにかく山と緑が多くて癒された。緑色の木々が連なって揺れていれる様子を見て不覚にも涙が出てきそうになった。人生で怖いのはお金とか孤独とかそういうのではなくて、毎日毎日夕日が沈んでいくことだったり、木々が揺れていることだったり、時間がゆったり過ぎていくことだったり、下校中の学生の顔がつまらなそうだったり、そういうものだ。

そこから7時間かけて東京に帰ったでめたし、でめたし。

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机をもらうための交渉術〜机がダンボールの男〜

いつだったか忘れてしまったが机を手にいれた。そもそも論で僕の家には机がなかった。じゃあどう過ごしていたっか言うと「僕の机はダンボール」だっただ。ダンボールでご飯を食べて、勉強をして、物を置いて過ごしていた。

これはやってみるとわかるけれど、死ぬほど安定感がない。でもそんな生活もやり続けると感覚が麻痺してくるのかダンボールにたいしてなにも感情を抱かなくなってくる、あくる日、就職するために勉強をしようと思い立ち勉強をしようと思った。しかし実際問題、ダンボールで勉強するのは死ぬほどやりづらい。図書館でやるのも限界がある。やはりここは机が必要だ。でも机なんて買うと引越しの時にめんどくさいのは目に見えてる。そもそも引越しの時にもってこなかったのは、持ってくるのがめんどくさいといういたって人間的な理由からだ。

ありとあらゆる知識と情報をおりまぜた結果、落ちている机を拾ってくるのが一番いいと考えた。そう決めてからはごみ捨て場に机が落ちていないかを調べるために注意を走らせるようになった。そしてあった!そいつは暑い日差しのふりそそぐ炎天下の日差しの中にあった。わりときれいなベージュの四つ折りの机だ。「これはもらいだ!」そう思った。しかしどうやらその机には処分したであろう人が粗大ごみに出したであろう粗大ごみシールが貼られていた。これを持って帰るのは犯罪だ。それはできない。市の担当部署に「捨ててある机をもらえないか」電話で問い合わせてみた。どうやら捨てた人の許可があればいいとのことだ。捨てた人の住所と名前は粗大ごみ処分シールに書かれている。「これは行くしかない…!」行動にGOサインが出たのだ。

 

ごみ捨て場から近くのアパートだった。正直実際に行くのはかなりビビったし、不安があった。しかしその不安よりも机を欲しいという物欲が勝っていた。いや机が必要という誠実さがあった。呼び出し輪を鳴らし、捨ててある机のことでお話がある旨を伝えて、出てきてもらった。誠実に正直に机をいただきたいという旨を伝えた。すると特に悩むでもなく「いいですよ」という許可をいただいた。ありがとうございますとお礼を伝えると、私は机を抱えて帰って行ったのでしためでたしめでたし。

 

机を手に入れてわかったのは「机超便利!机安定感はんぱない!」ということだった。机は最高だ。なにより足を伸ばしてご飯を食べられる。四つ足最高!さすが営業の会社に入って、営業をせずに会社を去った男の交渉術は素晴らしい。この一件でわかったことは「机が手に入るかどうかは交渉術とは関係なく、捨ててあるのを見つけられるかどうかの運の要素が強い」ということだ。みんなも机を他人から譲ってもらう時は運に任せよう。

コミ障のための会話マニュアル

これがあります。お客さんとは従業員対お客さんという構図だと買い物のコントをしているようでいて案外話せるもんだ。しかし一旦仕事を終えて休憩している時に同僚や上司から話しかけられると辛い。やっぱりコミュニケーションをめんどくさがってしまう。そもそも職場の人間関係にあんまり期待してないから話す気が起きないんです。人見知りの人やどんな人にもフランクな人とは話せるんだけど、体育会系の人や文化系なのに体育会系の人やイケイケな人とは話しにくい。

面接とかでは嫌々明るい人を演じないといけないからこれまた辛い。

とりあえず眉間に皺よせて生きよう。f:id:norane:20170510162126j:image

イトーヨーカドーに泊まってみたい

私のたわいもない夢のひとつ。それがイトーヨーカドーに泊まる事だ。よくね?なんかそういうのよくね?あのイトーヨーカドーの雰囲気よくね?誰もいなくなったイトーヨーカドーに泊まってみたくね?

 

これはクレヨンしんちゃんの大人帝国の逆襲の影響が大きいだろう。イトーヨーカドーのベットの展示を見て、私の脳裏にインスピレーションが走り、ニューロンニューロンがくっつき大脳やら小脳やらを稲妻がかけめぐり思考が決定される。イトーヨーカドーに泊まったらどんな気持ちになるのだろうか?そりゃあ、残業の従業員なんかは泊まり込みですることもあるだろうけど、それは辛いすぎる。

 

あー、泊まってみてーなあー。