痛い中二病の記録

読んで味噌。

自称変人と自称中二病が増えた

自称〇〇についての話とか、あとてきとーにいろいろ。

 

最近よく自称変人を見かけるし耳にする。変人とか中二病のくせに人によって上手に一般的な自分の側面と変な側面の自分を使い分けている。そういうのを見ると反吐が出そうになる程嫌になる。だいたいおかしなやつっていうのは家庭環境に問題があったやつの後遺症みたいなもので、なりたくてなってるわけでもなく、それしかできないからそうしているだけだろう。気持ち悪いうすら寒いキャラクターの設定で演じるものでもないでしょう。

 

なんで変人になりたがるのかわからない、そもそもまともなのはそんなにいけないことなのかとか、でもまともはつまらないとかいろいろな考えがあるんだろうけど…

そんなことをうじうじと何度も何度も考えてもいっこうに考えはまとまわないどころか、結局自分は浅はかで薄っぺらい考え方しかなくて、他の人はよく考えているなーという劣等感を抱いてしまう。ぼくにはわからない。

 

最近はますますわからなくなっている。脳細胞が死滅しているのか、感覚器官が鈍くなっているのかわからないけど、ちょっとやそっとのことで刺激を受けなくなってしまっている。これが老化というやつなのだろうか。恐ろしや。やっぱりわからないのだ。なにがまっとうで、なにが正常で、なにが正しいのか、僕にはわからないのだ。楽しいと思うことも時間が経つとそれに慣れてしまう、楽しさと一緒に成長していかないと楽しさを継続的に感じることはできないらしい。

 

経験と慣れというものだろうか、ますますぼくにはわからないのだ。

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俺が部屋の中にいる時は世界中が雨降りになればいい

こういうことを考えてしまう私は性格が悪い、つまり性悪であるだろうか?いいや違うと思う。誰しも一度は考えたはずだ。自分が外にいる時は晴れて、部屋にいる時は雨が降ってしまえばいいと…

 

そうだ。そうなってしまえばいいのだ。どうやったってこの世の中は自分の思い通りにはならない。なら、せめて天候ぐらい思い通りになってくれてもいいではないだろうか。そしたら雨降って全員ずぶぬれになってしまう。ははははっはっはあっははあはっはははははっは。それはそれで心苦しい、けど愉快でもある。

 

この世はしょせん天気と同じ。どう転んでもわからんのだ。雨降った日にはあほみたいな俳句でも読んであほみたいな悦に浸ってあほうになりたいなあ。それがいい、それがいい。それでこそ雨降りの特権だ。

 

ああ、神様どうかあの人が雨に濡れませんように…

赤羽埼玉論 〜アカバネーゼになりたい私の赤羽チックなひととき〜

今は北区の王子というところに住んでいる。住んでるアパートはオンボロアパートで家賃は2000円という値段だ。東京は物件が多いから探せばいくらでも安いのがあると思う。その代わり家の前に高速道路が走っていたりするから気をつけてほしい。そんなこんなで去年の11月から住みだしたこのぼろアパートも7月に出ることになった。住むのがしんどくなったのだ。

金もなくなってきたからとりあえず就職しようと思うんだけど、この面接というやつがなかなかくせ者で、かなりの演技力を要する。たかだが働くごときでこれほどの関門を用意する必要はあるのだろうか?就職先の近くに住むことになるだろうけど、変な田舎には飛ばされたくない。そうなったらすぐにやめるハメになるだろう。

まあ、今のところは次住むところは決まってない。ダメだったら実家に帰ってという感じになるだろう。できることなら赤羽の近くに住みたいものだ。赤羽は特に思い出があるというわけではないんだけど、バイト先がたまたまそこだったっていうだけだ。

 

この赤羽という土地は私の東京での生活に多少なりとも色を与えてくれた。バイトしかしてない自分にとって赤羽での仕事は唯一の社会活動だ。赤羽は正直言ってほぼ埼玉だ。だが地元民はかたくなに東京ということを主張する。この辺は横浜市民とか大阪府民に通づるところがあるだろう。なんだか妙なプライドがある。一方で妙な人情、つまりは優しさみたいのがあるのも事実だろう。仕事をすっぽかしたり、荒れていたりすると、「まあ人生つらいし、そういうこともあるよね」的な感じで受け流してくれていたりする気がしないでもない。酔っ払いの街というだけあって、たいして気を使わなくていいというのも楽でいい。「どうせみんなゴミなんだし、ゴミ同士で気を使いあったりする必要もないよねー」的なノリだ。駅前なんかはごちゃごちゃしてて、カオスだ。

そういう意味じゃなんだかここは東京にある大阪みたいな感じもしなくもない。

赤羽にはなにがあるの?と聞かれれば、迷わずに「人情、人の優しさがあるよ!」と答えてあげたいがやはり「イトーヨーカドー西友ぐらいしかないんじゃないかな…」と答えたくなるような独特のやる気のない街だ。

いつの間にか、この街に居心地の良さを感じてしまっている自分がいるのは否定できない。たまたま東京の北区に来ていて少しだけ良かったと思った。もうすぐ離れるからいろんなものがよく思えているのかもしれないけど。私にとっては東大阪に次ぐ故郷的な街になったことは言うまでもない。

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これから人生どんどんつまらなくなるのか?

そう考えると不安で仕方ないし、いやで仕方ない。疲れる。大学時代はあんなに楽しかったのになあーって言っていても仕方ない。みんなつまらなそうな顔して生きている。

 

あああ、どうしてなのかわかないけど、こんなつまらない日常なのにどうして耐えられるんだろう?つまらなくてつまらなくて仕方ないのに。最初つまらなかったらそれ以降面白くなることはないというおそろしいルールありけり。

ああ、ほんとなにしてきゃいいの。

日常で頭がおかしくなる

いつのまにか東京での生活もアホみたいに日常生活になってしまっていた。どうしようもなく頭ががんがんしていて、辛くてしかたない。かつて大学になじめずに休学していた頃の感覚に近い。頭が本当に変だ。最近はもうろくに働いてなくてなんにもしてないからかもしれない。人間はやることがありすぎてもダメだけど、なにもしていなくてもやっぱり頭がおかしくなる。やばい、頭痛い。

 

どうしようもなくくそつまらない日常が戻ってきてしまった。これはだめだ。心の調子が悪い。あまりにもつまらないから大学でお笑いをはじめて楽しかった頃が嘘みたいだ。とりあえず、東京きたはいいが、もう東京に浮かれる感じもなくなってしまった。お笑いの代わりになんかあるかと思って探してはみた。演技とか芝居が面白くて役者になろうとするけど、上手くいかない。ああ、つまらないつまらない。

くたびれたおっさんになりたい

今、僕は24歳でもうすぐ25歳になってしまうという状況だ。最近は夏のせいか、仕事のせいか、人間関係のせいかわからないけれど、気分の浮き沈みが激しくてまいっている。そんな時にたまたまアパートのお風呂が使えなくて早朝から開いている足立区の西荒井のtheSPAみたいなお店に行った。早朝は通常に比べると安く540円ぐらいだった。そこのサウナと露天風呂がよかった。特にサウナのほうはとても暑くて体の毒が抜けた気がしていい気分だった。

その風呂はきのぬけたおっさんばかりでとても居心地がよかった。

また別の日には埼玉の川口のロイヤルスパみたいなところへ行った。ここはあまりよくなかった。人が多いし、温泉の温度はぬるいし、若者や家族連れが多くて馴れ合いの雰囲気が強くて最悪だ。風呂に入るときは黙ってろよ、うるせえから。

 

このふたつの場所からいろいろ思った。若くて前向きでどろどろした嫌な感じが若者にはある。かつてのバブルの時代の親父たちのようなネチネチとした臭気が立ち上る。若いっていうのはめんどくさいなと思う。負け組のくたびれたおっさんになってしまうと、もうかっこをつける必要がなくなるから気がラクになるんだ。でもあんま年は関係ないのかも。うっとおしいやつはいつまでのうっとしいわ。

八方塞がり、閉塞感、危機的絶望的状況追い込まれ

全員死んだらいいのに、そんなことを思う。お金がなくなってきた。それはいつものことなんだけど、今回は仕事もなくなりそうで追い込まれてきた。毎度毎度、バイトっていうのは向こうにシフトの権利を握られているからどうしようもない。

 

あーあ、最近なんかもう生きるのが辛くてしょうがなくて死ねる。なんかこう頭で考えることができなくなってる。なんか辛くて仕方ないんだ。

 

ちらちらと死のうかなーなんて考えるけど、わざわざ死ぬためにビルの上やら橋の上やら行くのが面倒だ、それすらも面倒だ。でも死ぬ直前ぐらいはなーんにも考えずにこの辛い気持ちを忘れさせてくれるのかなあと淡い期待を抱く。

 

信号を無視したり、車にひかれにいったり、こうゆう行為はゆるやかな自殺だと思う。ひとりで生きていくことができたらいいのに…。