痛い中二病の記憶

24歳フリーター職歴証券会社。読んで味噌。

赤羽埼玉論 〜アカバネーゼになりたい私の赤羽チックなひととき〜

今は北区の王子というところに住んでいる。住んでるアパートはオンボロアパートで家賃は2000円という値段だ。東京は物件が多いから探せばいくらでも安いのがあると思う。その代わり家の前に高速道路が走っていたりするから気をつけてほしい。そんなこんなで去年の11月から住みだしたこのぼろアパートも7月に出ることになった。住むのがしんどくなったのだ。

金もなくなってきたからとりあえず就職しようと思うんだけど、この面接というやつがなかなかくせ者で、かなりの演技力を要する。たかだが働くごときでこれほどの関門を用意する必要はあるのだろうか?就職先の近くに住むことになるだろうけど、変な田舎には飛ばされたくない。そうなったらすぐにやめるハメになるだろう。

まあ、今のところは次住むところは決まってない。ダメだったら実家に帰ってという感じになるだろう。できることなら赤羽の近くに住みたいものだ。赤羽は特に思い出があるというわけではないんだけど、バイト先がたまたまそこだったっていうだけだ。

 

この赤羽という土地は私の東京での生活に多少なりとも色を与えてくれた。バイトしかしてない自分にとって赤羽での仕事は唯一の社会活動だ。赤羽は正直言ってほぼ埼玉だ。だが地元民はかたくなに東京ということを主張する。この辺は横浜市民とか大阪府民に通づるところがあるだろう。なんだか妙なプライドがある。一方で妙な人情、つまりは優しさみたいのがあるのも事実だろう。仕事をすっぽかしたり、荒れていたりすると、「まあ人生つらいし、そういうこともあるよね」的な感じで受け流してくれていたりする気がしないでもない。酔っ払いの街というだけあって、たいして気を使わなくていいというのも楽でいい。「どうせみんなゴミなんだし、ゴミ同士で気を使いあったりする必要もないよねー」的なノリだ。駅前なんかはごちゃごちゃしてて、カオスだ。

そういう意味じゃなんだかここは東京にある大阪みたいな感じもしなくもない。

赤羽にはなにがあるの?と聞かれれば、迷わずに「人情、人の優しさがあるよ!」と答えてあげたいがやはり「イトーヨーカドー西友ぐらいしかないんじゃないかな…」と答えたくなるような独特のやる気のない街だ。

いつの間にか、この街に居心地の良さを感じてしまっている自分がいるのは否定できない。たまたま東京の北区に来ていて少しだけ良かったと思った。もうすぐ離れるからいろんなものがよく思えているのかもしれないけど。私にとっては東大阪に次ぐ故郷的な街になったことは言うまでもない。

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これから人生どんどんつまらなくなるのか?

そう考えると不安で仕方ないし、いやで仕方ない。疲れる。大学時代はあんなに楽しかったのになあーって言っていても仕方ない。みんなつまらなそうな顔して生きている。

 

あああ、どうしてなのかわかないけど、こんなつまらない日常なのにどうして耐えられるんだろう?つまらなくてつまらなくて仕方ないのに。最初つまらなかったらそれ以降面白くなることはないというおそろしいルールありけり。

ああ、ほんとなにしてきゃいいの。

日常で頭がおかしくなる

いつのまにか東京での生活もアホみたいに日常生活になってしまっていた。どうしようもなく頭ががんがんしていて、辛くてしかたない。かつて大学になじめずに休学していた頃の感覚に近い。頭が本当に変だ。最近はもうろくに働いてなくてなんにもしてないからかもしれない。人間はやることがありすぎてもダメだけど、なにもしていなくてもやっぱり頭がおかしくなる。やばい、頭痛い。

 

どうしようもなくくそつまらない日常が戻ってきてしまった。これはだめだ。心の調子が悪い。あまりにもつまらないから大学でお笑いをはじめて楽しかった頃が嘘みたいだ。とりあえず、東京きたはいいが、もう東京に浮かれる感じもなくなってしまった。お笑いの代わりになんかあるかと思って探してはみた。演技とか芝居が面白くて役者になろうとするけど、上手くいかない。ああ、つまらないつまらない。

くたびれたおっさんになりたい

今、僕は24歳でもうすぐ25歳になってしまうという状況だ。最近は夏のせいか、仕事のせいか、人間関係のせいかわからないけれど、気分の浮き沈みが激しくてまいっている。そんな時にたまたまアパートのお風呂が使えなくて早朝から開いている足立区の西荒井のtheSPAみたいなお店に行った。早朝は通常に比べると安く540円ぐらいだった。そこのサウナと露天風呂がよかった。特にサウナのほうはとても暑くて体の毒が抜けた気がしていい気分だった。

その風呂はきのぬけたおっさんばかりでとても居心地がよかった。

また別の日には埼玉の川口のロイヤルスパみたいなところへ行った。ここはあまりよくなかった。人が多いし、温泉の温度はぬるいし、若者や家族連れが多くて馴れ合いの雰囲気が強くて最悪だ。風呂に入るときは黙ってろよ、うるせえから。

 

このふたつの場所からいろいろ思った。若くて前向きでどろどろした嫌な感じが若者にはある。かつてのバブルの時代の親父たちのようなネチネチとした臭気が立ち上る。若いっていうのはめんどくさいなと思う。負け組のくたびれたおっさんになってしまうと、もうかっこをつける必要がなくなるから気がラクになるんだ。でもあんま年は関係ないのかも。うっとおしいやつはいつまでのうっとしいわ。

八方塞がり、閉塞感、危機的絶望的状況追い込まれ

全員死んだらいいのに、そんなことを思う。お金がなくなってきた。それはいつものことなんだけど、今回は仕事もなくなりそうで追い込まれてきた。毎度毎度、バイトっていうのは向こうにシフトの権利を握られているからどうしようもない。

 

あーあ、最近なんかもう生きるのが辛くてしょうがなくて死ねる。なんかこう頭で考えることができなくなってる。なんか辛くて仕方ないんだ。

 

ちらちらと死のうかなーなんて考えるけど、わざわざ死ぬためにビルの上やら橋の上やら行くのが面倒だ、それすらも面倒だ。でも死ぬ直前ぐらいはなーんにも考えずにこの辛い気持ちを忘れさせてくれるのかなあと淡い期待を抱く。

 

信号を無視したり、車にひかれにいったり、こうゆう行為はゆるやかな自殺だと思う。ひとりで生きていくことができたらいいのに…。

東京を好きになった日

今日はなんか東京を離れた場所で研修を受けた。けっこー田舎チックなところで伝統も少なくて人も少ないところだった。ストレスは少なくていいんだけど、それは過ごしやすくてよかったんだけど…田舎の人間の狭い村社会の仲間はずれ意識みたいなものを思い出した。

研修でグループワークみたいのとかあったんだけど、見事に内輪ノリ、それも嫌な感じの断りにくい内輪ノリ。これはイエスと言うしかないよなという雰囲気。

今までは東京は人が多くてゴミゴミしてて、スーパーとか電車とかだるいなって思ったけど、一歩県外に出て気づいたことは東京が怖い街で無くなっていたということだ。まがいなりにもだらだら住んでみて馴染んできている。

 

東京の人の多さの中に紛れてしまえる魅力。今日の研修でも、僕の印象が悪くても東京の人印象悪いってなるだけで、僕自身はあまり傷つかない。謎の東京の一体感みたいなものがある。

 

初めて東京のよさに気づけた日だった。

幕張メッセと市川のおっさん

今日と明日、つまり6月24日(土)と25日(日)は千葉の幕張で次世代ワールドフホビーフェアが開催された。ぶっちゃけなくても正直に言わなくても行きたくなかったんだけど、開催されるという情報を聞いてしまうと落ちかなくなってしまって、行かなかったら行かなかったで後悔するのでいやいやながら行くことになってしまう。そもそも論で幕張までここから自転車で2時間かかる。もうその時点でめんどうくさい。電車で行くという選択肢は今のところない、今までもない。こんな面倒なイベントに参加するのにお金をかけるのなんて絶対に嫌だと思ったからだ。それに自転車で行けば運動にもなるし、金もいらないしでいいことが多いからだ。

 

そんなこんなで朝5時に起きて朝7時に幕張についた。そこから開場の9時まで2時間ある。その待ち時間というのは自分にとっては割と楽しみにしていた時間である。その理由は待ち時間に本でも読んで時間を潰そうと思っていたからだ。なぜか待ち時間っていうのはいい具合に集中できていい暇つぶしができるのだ。そして今回もそうだった。2時間ずっと読みっぱなしで100ページぐらい読めた。

 

そしてイベントが開催された、が、正直すぐ帰りたかった。欲望に満ちた子供の感情、親子連ればかりの環境、子供にしかプレゼントを渡さない状況、すべてに嫌気がさした。だが予想外ではなかった。そうなるだろうなとわかっていた。自分はなんとなく、この嫌な状況を確認しにきたような気がしていた。そんな嫌な状況を理解すると、僕はさっさと帰路につくことに。いちおうの目的のクリアファイルを手に入れるとさっさと帰ってしまった。

 

帰り道、約30キロ。遠いなあ。今回の幕張遠征ではなんにも得るものはなかったなあなんて思いながら帰っていた。そんな沈んだ思いでいた。

いつも幕張に行くときには途中にある西船橋のスーパーとヤマダ電機のある複合施設によっていく。そこでだいぶ遅い朝食をたべることに。店内のイートインコーナーで飯を食べていた。そしたらおっさんが話しかけてきた。どうやら僕が1.5Lのファンタを普通にがぶ飲みしていたのを見て、気になったらしい。おっさんは250mlのコーラを飲んでいた。どら焼き2つとパンとコーラを食べていた。

 

「なんだこのおっさん…」

 

僕は率直にそう思った。だらだらと会話が始まった。だがまともに成立した会話というのはなかったようなきがする。それでも変わりもん同士の会話っていうやつは続いてしまうのだ。一緒に話していても黙っていても苦しくならず、居心地がそんなに悪くないのだ。おっさんに年を聞かれて、実年齢を答えると、もうちょっと年上かと思ったと言われた。どうやら僕は実年齢よりも老けているようだ、それは悲しい事実だった。僕もおっさんに聞いてみた。おっさんになってもコーラを飲むものなのかと聞いた。率直に気になったのだ。おっさんは答えた。「これぐらいしか楽しみないもんね」だ。

 

その後もおっさんとの会話は続く。おっさんは自分の住所もなんでここにいるのかもわからないほど重症の記憶力の持ち主だった。今日も5回ぐらい、僕の年齢を尋ねてきた。おっさんは自分の年齢を忘れている様子だった。何年生まれかだけは覚えていて、そこから計算してだいたい68〜9ということがわかった。ほんとかどうかはしらんけど。おっさんは鹿児島出身ということを3回ぐらい聞いた。おっさんは昔優秀だったそうだ。確かに話していてユニークさを感じずにはいられない、頭のネジの外れた感じはする。おっさんは自分が変わり者だという自覚があるようだった。それにしてもおっさんは何度も何度も俺に年齢を尋ねてきた。

 

おっさんは記憶力がとんでもなく悪く、すぐに忘れる。俺の年齢を何度も聞いてきた。おっさんにコーラは体に悪く、記憶力が悪くなったのはコーラが原因かもしれないから飲まないよう提案したら、「お茶なんて飲む気がしない」だそうだ。おっさんはかたくなにお茶を飲むことを拒んだ。

 

別れ際、おっさんは俺にスーパーで買ったパンとどらやき一個とそれを入れていたゴミ袋を俺にくれた。「もらってもいいのか?」と尋ねると「俺が食べてもう◯こになるだけだからあげるよ」だそうだ。品のないおっさんだと思った。

 

 

おっさんとの会話は9割ぐらい成立していなかった。おっさんが何言ってるかわからないのだ。あと僕が言っていることもおっさんは理解できていないようだった。それでも45分ぐらい同じ場所にいた。コミュニケーションは会話が成立してるかよりも、相手といて居心地がいいとか、自分と似ているとか共通点があるとかが大事だと思った。

 

その後に市川を後にして、中川の橋のうえあたりでおっさんからどら焼きを食べてあつい帰り道を帰った。おわり。

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