痛い中二病の記録

読んで味噌。

地球人だけどUFOは地球に来ていると思う

今年もあの時期がやってくる。年末の大イベント。年末といえばUFO問題に尽きるのではないだろうか?この時期だけは普段は世間を恨んでいる自分もみんなも停戦協定を結んで2017年のUFO問題について大激論をくみかわすべきだと思う。真面目な議論や真剣はネタなんてのは本当にいらない。そういった類のものは空気が読めてないと思う。私はこの時期だけは不思議と謎の焦燥と高揚にかられる。普段は世間を恨んでいると言っても過言ではない私ですらもこの年末差し迫る寒さが極まってくるこの時期だけは生まれたことに感謝している。

「ああ、神に感謝!」

そして愚かな愚民どもよ、よく聞け!貴様らが否定したUFOの存在はこの年末のに明らかにされるであろう。0になにをかけてもたしても答えは0のままであるがごとく、すでに証明されている証明のようにこれは明白な問題なのだ。

そしておっさんは言った。

「馬鹿にならなあかん!」

そう!宇宙人は地球に来ている。おちまい

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独りよがりな自分へ〜自称ライターへの恨みをこめて〜

1人で生きてきたつもりはないが、どうやら結果的にひとりよがりな生き方をしていたらしい。自分でも気づかなかった。そんなことを自称小説家に言われて、「確かにそうかも」と思いつつも腹ただしい気分になった。

今日も仕事で他の人たちがコミュニケーションをとっている中で自分は「どうせたいして仲良くなれないのに会話なんかしても時間の無駄。この時間はぼーっとしてるか、手帳を開いてなにか考えていた方がいいのかも」と思っていた。それはそもそも悪いこととも思っていなかった。

「ぼっち」「友達がいない(少ない)」「孤独」「独りよがり」この言葉の違いはいったいなんなんだろうと思ってしまう。「孤独」は自分の能力を高めるために必要なことだと思っていた。友達と遊んで時間を潰すよりも本を読んだり、面白い話を考えているほうがいいと考えていた。「ぼっち」は人に無理矢理合わせて仲良くなるよりもひとりでいたほうがいいと思っていた。「友達がいない」のは人を選んで、簡単には人を友達にはしない信用のおけることだと思っていた。「独りよがり」と言われてしまうとどうにも気持ち悪い感覚を覚えたのだった。実際それほど人と話したいわけでもない。そう思うのはお笑いとかやってる人間ぐらいしか仲良くなれなかったから、普通に仕事してる人とは仲良くできねえしつまんねえだろうな判断していたからだ。

 

「独りよがり」について思うのは、誰かが独りよがりに見えた時に見えた本人も独りよがりも本人にもそこには大きな壁がある。自分も壁を作っているし、相手も壁も作っている。僕は顔が怖いから恐ろしいほど話しかけられない。ここには壁があるんだろう。

「こいつ怖そうだな」「こいつと話しても仲良くなれないよな」この壁がある。どっちも人の表面で判断していて中身を見ていない。でもしょうがないよな。人の中身なんてそうそう分かり合えるもんじゃないんだし。だから分かり合えた少ない人を大事にしていけばいいって話。

 

それにしても自称ライターは本当に腹が立った。なんとかかんとかの作家さんのアシスタントととかもだ。やつらは会話を始める前から自分は上の人間だと勘違いして大上段から物を申してくる。それでいてこちらの言い分がどれだけ正当なものであろうと聞きやしない。やつらは大物作家のアシスタントという肩書きを利用して普通人をきりつけてきやがる。騙されてはいけない!やつらに力や能力なんてありはしない。そもそも物を書くなんて徹頭徹尾ごみみたいなもんだ。無駄に言葉の使い方や表現を変えたところでそこには文字の羅列があるだけだ。でもそれには価値があるとは思う。

気にくわないのは作家のとりまきや肩書きだけの連中だ、他人のふんどしでここまで露骨に相撲をとってくるとは思わなかった。「うーんとねえ、私は〇〇さんのアシスタントをしているんだけど…言わせてもらうねえ…あfjlアファlskfj;あsfじゃ;sljfあ;」と言ってきやがる。物を書くのに大物も小物もあるかよ。書きたいから書く。不愉快な話だ。プロってのは気にくわねえなおい。プロになって見返してやりってよちくしょう。

現実がつまらない

俺は気づいてしまった。現実を生きて、現実がつまらない。どうしてこうなった。全部自分が招いた出来事なのか!こんなにつまらないんだ、毎日が。つまらないのに果たして生きていると言えるのか?つまらないのに生きている価値はあるのだろうか?俺にはわからない。このクソみたいな現実を生きても、もう大学のような青春は帰ってこないと言うならば、いっそくたばってしまったほうがいいのかもしれない。でもそれができずにいるのは、たった少しの恐怖と不安と、まだ生きていたらあの青春が来るかもしれないと思っていたから。どうして年を取っていくのだろうか!このまま年を取り続けたとして、俺はこの世界で生きていけるのだろうか?ああ、現実がつまらないつまらない!

北区に寄席のような空間を作りたい

僕は大学卒業してから普通の人は寄り付かないような、ダメ人間の逃場のような空間が欲しかった。それはまるで寄席のような空間のような感じです。汚れていて汚くて趣味の悪いものばかりで混沌した場所を作りたい。寄席なんてものは若い奴でも物好きなやつしか寄り付かない。ようは変わり者とか嫌われ者の逃場が欲しい。そういう連中は自分でも「うっ!」ってなってしまって近づきにくいけれど、僕は彼らとの居心地の良さを知っているから彼らと過ごしたいと思う。

 

現実社会はどうしてなんだろうか、なんでこんなにつらいし、居心地が悪いんだろうか?今の社会的な価値なんてほとんどがくだらないと思う。でもいい大学やいい会社に入っていないとバカにされる。バカにされるのは嫌だから仕方なく努力をするけど、努力って虚しいなって思ってしまう。努力の価値って努力をし続けることに価値があるから、ようは持久走レースみたいなもんで、やっぱりそれはめんどくさいし楽しくはないなと思う。

 

そんな思いと自分の過去の経験から北区に寄席のような空間を作りたいと思いました。そんな思いを書き綴る秋の夜中に…

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ブロガーの陥る罠ども

そもそもなんでブログなんて始めたのかって言うと、金をかせげそう!とかいろんな人とつながれそう!とかそういった下心ありきで始めたのかもしれない。でも現実はそんなにたいして役にもたってない軽いストレス解消?ツールみたいなものだ。

 

そもそもブログを通してなにかを自分が望んでいるとも思えない。適当に書いてるだけだし、この駄文が誰かに読んでもらえているのかもわからない。まるでごみ捨て場にごみを捨てるように、はてなブログの大量の文章のなかのひとつになっているだけかもしれない。それはそれで悪くないなと思う。

 

ブログなんかでお金を稼いでる人を見るとすごいなーと思う一方でこいつらの下品さにはヘドが出そうになるぜみたいなロックな自分もいる。ブログなんぞに懸命になるなんてどうかしてるぜ!っていう安易な批判だけで済ませたいところだが、お金を稼げているんだからそれはバイトや正社員の仕事となんら変わらない。でも気にくわないから全員くたばっちまえ!金稼ぎうそつきブロガーどもが!と付け加えておく。

 

ブログが表現だとするならば、自己主張するためのものだとするならば、あまりにも虚しさに溢れている気がする。こんなデジタルの仮想の文字のために俺たちは血眼になって躍起になっているのか!これは俺が心のそこから望んだことなのか?貧乏で金に四苦八苦してでも路頭に迷おうとも、あの日あの時に心のときめいたあの思いを捨てずに冒険ずべきだったのではないだろうか!

 

ああ、神よ!僕たちの思考の至らなさはどうしてこうなのか!どうして他人を批判することなく攻撃してしまうのか!ああ、マリア様!どうかわたくしめに慈しみを!

 

ブログで飯が食えるか!ブログで食う飯は美味いか?はい!美味しいです!いえー!ブログ最高ブログ最低!

最高で最低で、ゴミどもに言論の自由を与えてしまったブログに乾杯!おまえは天国に行けると思うなよ。アーメン。

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東京は東京だ

東京は都会だと思っていました。多分それはそうなんだと思います。今もちょっと昔も変わらずに、都が東京に移って発展してからは東京は都会なんだと思います。そもそも論で、なにをもって都会というかという定義が難しいから困ってしまうんだけど、田舎者の僕が思い描いた大都会東京のイメージでもってして都会ということについて勝手にかたらしてもらおう。

 

18年間、田舎で過ごし、大学で5年間(1年ダブっちまったぜとっつあーん)大阪で過ごした。そして東京に来てなんやかんや1年過ごした。そして結論的には僕にとっての都会とはやはり大阪になってしまうのだ。

僕にとっての都会は街並みの余裕さと広がりがとても重要だったと思う。東京は街並みに余裕がなさすぎて窮屈な思いをすることが多くてやっぱり大変だ。

そしてもうひとつ重要だったのは快適さだった。大阪は都市機能が神戸、京都、大阪といった具合に上手い具合に分散しているので列車もパンパンになりにくいみたいな情報をどこかで聞いた。東京での電車移動はやはり未だにしんどいぞ。誰か満員電車をなんとかしてくれ。あと、スーパーの混み具合は大阪やその他の地方とは比べものにならない。この混雑さはやはり快適とは言い難い。

 

でもこの混雑さ、人口の多さが生きにくさを解消したりもしてくれているのも事実。ある時、つくばに行って東京に帰ってきた。その時に感じたのはつくばにいる時は人の顔が見えるのに、東京にいる時は人の顔が気にならないのだ。それはいいことなのか悪いことなのか僕にはわからない。人1人に対する注意力は確実に減っていくのだ。それが自由を約束してくれるものなのかはわからない。だけど確かに最初の身動きは軽くなった気がする。

 

田舎では終わったなということが東京では続くということがある。どちらが良くてどちらが悪いのはないのだろう。こうしてまがいなりにも東京で1年過ごして、自分の中で東京に対する焦りみたいなものがなくなったのを感じる。

 

どの町で生きようか?田舎?ど田舎?限界集落?地方都市?都会?大都会?

 

結論。東京は大都会だった。大阪は都会だった。

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自称変人と自称中二病が増えた

自称〇〇についての話とか、あとてきとーにいろいろ。

 

最近よく自称変人を見かけるし耳にする。変人とか中二病のくせに人によって上手に一般的な自分の側面と変な側面の自分を使い分けている。そういうのを見ると反吐が出そうになる程嫌になる。だいたいおかしなやつっていうのは家庭環境に問題があったやつの後遺症みたいなもので、なりたくてなってるわけでもなく、それしかできないからそうしているだけだろう。気持ち悪いうすら寒いキャラクターの設定で演じるものでもないでしょう。

 

なんで変人になりたがるのかわからない、そもそもまともなのはそんなにいけないことなのかとか、でもまともはつまらないとかいろいろな考えがあるんだろうけど…

そんなことをうじうじと何度も何度も考えてもいっこうに考えはまとまわないどころか、結局自分は浅はかで薄っぺらい考え方しかなくて、他の人はよく考えているなーという劣等感を抱いてしまう。ぼくにはわからない。

 

最近はますますわからなくなっている。脳細胞が死滅しているのか、感覚器官が鈍くなっているのかわからないけど、ちょっとやそっとのことで刺激を受けなくなってしまっている。これが老化というやつなのだろうか。恐ろしや。やっぱりわからないのだ。なにがまっとうで、なにが正常で、なにが正しいのか、僕にはわからないのだ。楽しいと思うことも時間が経つとそれに慣れてしまう、楽しさと一緒に成長していかないと楽しさを継続的に感じることはできないらしい。

 

経験と慣れというものだろうか、ますますぼくにはわからないのだ。

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